「しーんー」 ほにゃっとした声と共に、青い頭が覗いた。 「あの、お邪魔ですか」 マスターコースの院生は心配そうに言う。 「ああ、いいんだよ、こいつは。それで?潮流については?温度も入力可能だよね?」 当麻の方をちらちら見ながら、お構いなしの伸に対して回答する院生は、どうも落ち着かないようだ。伸は度々当麻の訪問を受けているから、今日も何かの施設を借りたついでに立ち寄ったのだろうと見当をつける。 「まあいいや、後は僕が確認しておくよ。春休みなんだし、明日から実家へ帰るんだろう?」 どうも歯切れが悪い。院生はつと、当麻の方を向いた。 「あの、お久しぶりです、羽柴先生。昨年の特別講義、拝聴しました。」 嬉しそうである。こりゃ当麻のファンだな、と伸は思った。学内には結構彼のファンがいる。明晰な頭脳は有名すぎるくらいだったし、時折行われる特別講義は面白いと評判で、立ち見が出る位だった。単位とは無関係なのに、である。学部を超えての聴講もあるくらいだ。 「あ、そう?去年のって、駒場の方だった気がするけど・・・」 瞳を輝かせて話す院生と当麻の話はひとしきり続いた。30分くらい話したろうか、院生は名残惜しそうにお邪魔しました、と出ていった。 「人気あるねえ、羽柴先生」 伸がからかうと、当麻は困ったように笑う。 「伸のお陰だよな」 何、と伸が胡散臭そうに当麻を見るが、からかっているわけでもないらしい。 「俺に教え方を教えてくれたのは伸だからな。伸、わからないことがあると必ず俺に聞いただろ。俺が問題解いて見せてもそんなんじゃわからない、とかってさあ。かなーりワガママな生徒だったよなー」 懐かしそうに当麻の目が泳ぐ。柳生邸で一緒に暮らしていた最初の頃、当麻は酷く取っつきにくい人間だった。何かというと1人でいたがり、集団生活だの協調性だのと言ったものは彼の辞書には無いようだった。 「でも、当麻も飲み込み早かったよ。僕怖かったもん」 伸も懐かしそうな声を出すと、当麻がきょと、とした顔をした。滅多に見せない、久しぶりの子供じみた顔。 「説明の仕方もすぐ的確に、わかりやすくなったしね。そのうち僕の顔とか声とかから、理解してるかどうか判断できるようになったでしょう。わかってないと、もっと細かく説明してくれる。僕は心の中まで見透かされてるみたいで怖かったね」 なるべくおどけて言うと当麻はきまりが悪そうに、同じことを言われたことがある、と言った。 「やっぱりねえ。いつ?」 伸は絶句してしまう。こういうとき、彼は自分達とは違う世界に生きているような錯覚を起こす。でもそれは間違い。 「なーるほどー、それがトラウマになって人に教えたりするのが嫌になってたのか」 伸が笑いかけてやると、当麻はううん、とかいう音を出して首を傾け、笑いかえした。 「大学受験の時だってさ、当麻が専属家庭教師してくれてたら一発で合格してただろうになー」 当麻は笑っている。 「でもさ、考えてみると君たちってインテリ夫婦なんじゃないの?征士もハーバード、一発だったでしょう」 伸が言うと当麻は意味ありげに笑った。いつものにやり、だった。 「あ!愛の力、とか思ってるでしょう!?」 笑ったままで当麻が話頭を変える。 「ううーん、母さんが亡くなってから、僕の居場所はないからなあ」 病弱だった伸の母は昨年亡くなった。萩焼の窯元である伸の実家は、姉と結婚して養子に入った内弟子が継いでいる。伸は自由を得た代わりに帰ることのできる場所を失ったのだ。 「じゃあ14日もいるよな?うちに来ないか?」 伸はすぐにぴんときた。カワイイ弟たちめ。 「折角の誕生日にアテられに行くのもなあー」 当麻はざるだ。征士もだ。こんなやつにつきあってたら死んでしまう。それでも生返事をしてみせて、勿体ぶっていると当麻がにやっと笑った。 「どうせ、彼女もいないんだろ?研究三昧もほどほどにしておいたほうがいいぜ」 一言多いんだよ、と青い頭を小突きながら、全く、世の中は不公平だと愚痴りたくなる。 「わかった、行くよ」 伸の言葉に、当麻が声を立てて笑った。お兄ちゃんは弟たちの笑顔があれば幸せです、と伸は思う。 終劇 <お礼の言葉> 結局僕のことはどうでもいいんじゃないの(苦笑)?<大明神こと毛利伸さま 滅相もございません(^-^A)
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