S I N

 

 「信の戦士の名前がシン……皮肉だな。」

 僕が初めて自分の名前を言った時、彼はそう言って鼻で笑った。

 「洒落じゃなくて皮肉なのか?」

 彼の言った本当の意味を理解できなかった遼がそう言うのに、彼は吹き出した。

 「……そうだったな。言い間違えた。」

 IQ250が言い間違いなどするはずもないのに、彼はそう言って皆をごまかした。

 「君のこと、随分嫌な奴だって思ったよ。」

 随分後になって、戦いの最中、たまたま二人で見張りに立った時にその事を言ってやった。
 すると、彼は困ったように苦笑した。

 「ああ、あれな……。」

 しばらくの付き合いで、彼がその皮肉な口振りほど嫌な奴ではないということはわかり始めた頃だった。
 僕は本当に嫌いな奴には、そんなことはおくびにもださない。
 そうしておいて、心の中で軽蔑してやるのだ。

 彼の、皆の気持ちを逆なでするような物言い。それは、ついつい正義の味方という役割に舞い上がったり、熱くなったりしている僕らの頭を冷やすためのものだった。ただ、あまりに彼は人付き合いが苦手だったため、それは時に逆効果であったりもしたのだが……。

 「信の戦士の名前が『罪』だってことが、そんなにおかしかった?」

 ―――勉強中になにげなく英語の辞書の中に見つけた自分の名前。

『sin』 : 罪、罪悪。 / 罪を犯す。

「神の掟にそむくこと」が本義。

 偶然とはいえ、嫌な気分にならないわけはなかった。

 「いや、……かえって『らしい』かもな。」

 彼は遠くの空を眺めながら、静かに言った。
 僕はその頃から、彼が時々思いついたように口にする意味深長な言葉に興味を抱いていたので、その時も尋ねた。

 「『らしい』って?」

 「神様にとっちゃ、人間が自分以外の何かを信じるのは気に食わないことだろう?特に、その何かが神様の掟に背くようなことならなおさらな。」

 彼はそう応えながらも、視線をこちらには向けようとしなかった。
 その視線は一点に注がれ続けている。

 「だから、神様以外を信じるのは『罪』ってわけだ。」

 彼の視線の先、そこは妖邪の攻撃を受けて真っ赤に燃えていた。

 けれど、僕たちは今ここを動くわけにはいかなかった。先の戦いでの遼の怪我は思いのほか重く依然として意識が無かった。そして、それを庇ってきた他の皆の疲労も極限に達していた。それを承知で妖邪は、僕たちをおびき寄せるために町を攻撃している。

 待機を決めたのは軍師である彼だった。

 『今ここで一人でも失えば、この先の長い戦いを勝ってゆくことはできない。』

 『そのために人々を見殺しにするってか!?』

 『遼を欠き疲労困ぱいのこの状態で、俺達に勝機があるとは思えない。そして俺達が負ければ、間違いなく世界中の人々が死ぬ。』

 遼を除いた4人での話し合い、彼の意見に反対したのは秀一人だった。
 征士はいつでも黙って彼の決定に従うし、僕は何より遼のことが心配で彼の意見に賛成した。
 結局多数決で、待機が決定した。

 「たとえこれが罪だとしても、僕は遼を信じている。世界を救えるのは彼しかいない。」

 目の前の赤く燃える町を睨みながら、僕は半分自分に言い聞かせるように言った。
 もしかしたら、それは人々を見殺しにすることの責任を遼に押し付けたかっただけなのかもしれない。

 「それでいい。仁の心を信じる。それがお前なんだから。」

 そんな僕の弱さを知ってか知らずか、彼はそう断言した。

 そして、やっと僕の方へ向けられた彼の…当麻の瞳は揺るぎ無くて、僕は当麻がいてくれて本当に良かったと思ったのだった。

 

 「え?誰が死んだって………?」

 電話の向こうでナスティが泣いているのがわかった。
 ナスティが泣いている。
 そのことはわかるのに、彼女の言っている意味がわからない。

 『突然歩道に車が………、それで征士は当麻のこと庇って……』

 数分後、僕がやっと理解したのは、とにかく一刻も早く当麻の側に行かなくてはということだった。

 病院の霊安室。
 線香の匂いの漂うそこが、僕は大嫌いだった。

 「ちょっと君、何そんなとこで寝てるんだよ……」

 僕の目の前で横たわっている男に向かって呟く。
 その綺麗な顔には傷一つついていない。

 「早く目を覚まさないと、君の一番大切なもの僕が貰っちゃうよ。」

 いつもなら、その言葉で不機嫌に顔を顰めるくせに、今はいっそやすらかに眠り続けている。

 「僕は、この部屋が大嫌いなんだから、早くしないとおいてくよ!」

 母さんが病気で入院していた頃、それが命を救うためにある病院の存在自体を否定しているようで嫌だった。
 確実に死に逝く人の存在を考慮にいれた施設。
 重大な病気や怪我をした人が運び込まれ、そして、治る見込みのない者もその中にはいることを考えれば、当たり前の、そして必要な施設。

 母さんの死後、こんなに早く身近な人間がここに横たわるのを見るとは思わなかった。

 「伸。」

 振り返ると、入り口に遼が立っていた。
 随分と泣いたのだろう、目を真っ赤に腫らし、それでも唇を引き結び強い表情をしている。
 しっかりしなければいけない。
 遼がそう思っているのがわかった。あの戦闘中、遼は人一倍よく泣いたけれど、最後に一番強くて頼りになるのはやっぱり彼だったのだ。

 「当麻が目を覚ました。」

 一番恐れていたことを告げられて、僕は唇を噛んだ。

 「離せよ、秀!」

 病室の前まで行くと、中から怒鳴り声が聞こえた。
 彼のこんなに苛立った声を、戦いの中ですら聞いたことはない。

 「落ち着け当麻!」

 ドアを開けると、秀が起きようとする当麻を押さえつけていた。

 「遼、手伝ってくれ!こいつ征士のとこ行くってきかないないんだ!」

 遼は慌ててベットの側へ行く。
 当麻は乱暴に遼の伸ばされた手を振り払った。

 「なんで行っちゃいけないんだよっ!」

 「当麻。お前は怪我してるんだ。しばらくは安静にしてないと……」

 遼は押さえた声で言った。その声が必死に動揺を隠そうとしているのがわかった。

 「……なんだって言うんだよ…、おかしいぞお前ら……」

 当麻は疑うような眼差しで、僕たち3人を見た。
 そして、ふと脅えたように眼差しを揺らす。

 「まさか、あいつに何かあったのか……?」

 一瞬の沈黙。

 「何言ってんの当麻。」

 病室に僕の声が妙に明るく響いた。
 遼と秀が驚いたようにこちらを見る。

 当麻は二人の間から僕の方を縋るように見た。

 彼が何を待っているのか、僕にはわかっていた。
 そう、一言僕の口から、征士の無事を確認したいのだ。

 「征士は大丈夫だよ。」

 僕はいつものように笑顔を浮かべる。

 僕は嘘が悪いことだなんて思わない。
 それで誰かが苦しまずにすむのなら、それは優しい嘘だから。

 僕は自分が今、呆れたような笑顔を浮かべているのを確信する。
 それは当麻の心配を笑い飛ばすような表情のはずだ。

 しかし、僕の目の前で当麻の顔が歪んだ。
 僕の顔を見たまま、ゆるゆると首を振る。

 見ると、遼と秀が辛そうな顔で僕を見ていた。

 そして僕は、
 自分の頬を伝う滴の感触に、
 一世一代の嘘に失敗したのに気付いたのだった。

  征士の死に当麻は泣かなかった。

  ただ静かに、

  生きることを放棄した。

 「見てられない。」

 そう言ったのはナスティだったか。
 現実から逃げた当麻は、息をすること以外を止めてしまった。
 むろん、食べることもしなければ、彼が何より愛した睡眠すらとらない。
 だから、点滴で栄養を与え、睡眠薬で眠らせる。

 「息をしてるってことは、あいつは全部を諦めたわけじゃない。」

 秀はそう言って、僕らを元気づけた。
 いつも彼の前向きな思考は、僕らを支えてくれる。

 けれど、そう言う秀自身が今やとても疲れた表情をしている。

 「俺達には何ができる?」

 遼は必死に考えているようだった。
 いつも彼の純粋な優しさは、僕らを救ってくれる。

 けれど、考えることは本来彼の役割ではなく一向に解決法は見つからない。

 「君ならどうする?」

 僕の問いかけは写真の中の人物に。
 いつも、誰かを信じて従うことしかできない僕には何もできることがないから。

 いや、できることはあるのだ。
 ただ、それをするべきかを決められないでいるだけで。

 けれど、不遜なぐらい堂々と正邪の判断をしていた男と違って、僕にはそれを為すべきかわからない。

 「こんなに君らに頼っていたなんてね……」

 僕は苦笑した。

 八方塞がりのあの戦いで、針の穴を通すような打開策を考えてくれたのは当麻。
 たとえどんな迷いの中でも、行くべき道を自ら身をもって指し示してくれたのは征士。

 二人の存在は僕らにとってかけがえの無いものだった。

 そして、僕ら以上に彼らはお互いにかけがえの無い存在だったのだ。

 「毛利さん。そろそろ限界です。」

 一ヶ月がたった頃、医師は告げた。
 当麻の生命活動のレベルが下がり続けているのだと言う。

 病は気から。
 それはまぎれもない真実。

 大切な誰かを失って死ぬのに、刃物はいらない。
 ただ、悲しみだけが人を死に至らしめる。

 「わかりました。」

 僕は心を決めた。

 

 

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