「どうした、伸?」 声をかけられて顔をあげると、当麻が目の前にいた。 「ああ、ごめん。すぐにできるからね。」 僕は笑顔をつくり、手元に集中する。 「うわっ、すげぇうまそう♪」 当麻が嬉しそうに舌なめずりする。 「さ、できあがり。紅茶を入れるから、テラスで食べよう。」 「OK!」 当麻は破顔した。
僕が当麻から征士の記憶を奪ってから、半年が経っていた。 退院後、療養をかねて当麻は僕の実家に来ていた。さすがに征士と二人で住んでいたマンションに帰すわけにはいかないからだ。 あの日、数時間後に目覚めた当麻からは、すっかり征士に関する記憶は消えていた。 当麻はすんなり、その嘘を信じた。
「まったく、子供じゃないんだから少しぐらい待てないのかい?」 僕がお盆に紅茶をのせてくると、バスケットの中のシュークリームは一つ減っていた。 「だって、こいつが食べてくれってうるさいからさ〜。」 そう言って当麻は唇をつきだしてみせる。しかし、その目は嬉しそうに細められていた。 「はいはい。ほら、唇の横にクリームついてるよ。」 僕はそう言いながら、それを指ですくって嘗めた。 当麻と僕はこの半年で恋人と呼べる仲になっていた。 きっかけは嵐の夜。 誰に卑怯者と罵られようと、僕はそれを後悔はしていない。あの時の彼にはそれが必要だったから。 「何?」 自分の分を食べ終えた当麻が、じっとこっちを見ている。 「ったく、しょうがないなぁ。」 僕はバスケットごと、当麻の方へおしやってやる。 「愛してるぜ、伸♪」 そんな当麻の軽口にも、内心嬉しくなってしまう自分がいる。 「そんなんじゃ、デブになっても知らないからね。」 「へーき、へーき…おれっへ、ふとらないたいひつなの……」 口をもごもごしながら答える。 そう、当麻の言うとおり、いくら食べても当麻は太らなかった。 初めて抱いた夜、抱えた腰のあまりの細さに壊れてしまうのではないかと思った。
僕がバスケットを片づけて戻ると、当麻はテラスにはいなかった。 (また、あそこか……) 庭にある大きな桜の樹。 僕がそこへ行くと、案の定当麻がいた。しかし、珍しくその瞳は開かれている。 僕はその隣りに行こうとして、思わず足を止めた。 当麻は辛そうに眉を寄せていた。 「当麻。」 僕の呟くような声に当麻はぴくりと肩を揺らした。 「伸。こっち来いよ。すっごく気持ちいいぞ。」 僕は戸惑いながらも、その隣りに座る。 「秋のこういう良く晴れた日を、本当にさわやかな日って言うんだぜ。」 当麻はさっきの表情が嘘のように、気持ち良さそうにしている。 「でも君、さっき、気持ちいいって顔じゃなかったけど?」 僕はなるべくさりげなく聞いたつもりだった。 もしかしたら、征士のことを思い出したのかもしれない。 実際、僕の水滸の力は完全に当麻の中の征士に関する記憶を消し去ったはずで、それは普通の記憶喪失とは異なり、記憶が戻ることは決して無い。 「……俺も…………よく、わからないんだ。ただ……」 当麻は視線を空に向けた。 僕は黙って当麻の次の言葉を待った。 当麻は苦笑いしながら言う。 「俺は今、何にも悲しむべきものなんて無い。この町も気に入っているし、伸の会社の手伝いも楽しくなってきた。伸の家の人だって、皆良くしてくれる。」 そして少しの間の後、小さな声でつけたした。 「伸もいてくれるしな。」 僕は当麻の肩を優しく抱き寄せた。 しかし、その眉がわずかに寄せられるのに僕の心はざわついた。 「……なのに、朝、目が覚めるとどうしようもない喪失感があるんだ。」 どくん 「何にも無くしたものなんてないはずなのに。」 どくん 「おかしいだろ?………でも、」 僕の動揺を知られるのではないかと心配したが、当麻は目を開くと空の一点を見つめていた。 「悲しい想いだけが浮遊してる。」
当麻の視線の先、 真っ青な空の中、白い小さなそれ。 「そして気付くとそれを追ってしまう自分がいる。」 対象のないそれはとても薄っぺらで、涙にすらならない。 「だからきっと、俺はこの悲しみを愛しているんだと思う。」 僕はもう自分の中から溢れるものを押さえられなかった。 「伸!どうしたっ!?」 当麻は慌てて僕を覗き込んできた。 「だって……、じゃあ、なんでそんなに泣いてるんだよ………」 とめどもなく湧いて来る涙は、僕の頬から顎に伝わり、重力に従って落ちる。 「これは……君が…流すはずだった涙だよ………」 当麻はじっと僕を見つめている。 「僕がそれを奪った。」 半年前のあの日、僕は当麻から征士についての記憶を奪った。 ―――征士を忘れた当麻は、僕を愛してくれるかもしれない。 「僕は罪を犯した。」 罪という名の僕。 「僕は神の掟に背いたんだ。」 目を強くつぶると、溜まった涙がしぼりだされるように落ちた。 「それでも俺は伸を愛している。」 けれど僕にとっては、その当麻の愛の言葉すら、僕の罪の証だった。 「そう言ってくれる今の君こそが、僕の罪の結果なんだよ。」 当麻は黙ってその言葉の意味を考えているようだった。 「……伸、お前が神に背いたというなら、」 当麻のその静かな声は、まるで審判をくだすようだった。 「それを知ったうえで、お前を信じる俺も、」 信じるという言葉に僕はどきりとする。 「やはり、罪を犯しているということになる。」 そう言って、顔をあげた当麻は微笑んでいた。
僕はもう躊躇わなかった。 「もう僕は、君を愛することにも……」 当麻の耳に唇をよせ、告げる。 「……君に愛されることにも、言い訳なんてしない。」 僕の背中にまわされた当麻の腕が、それを肯定するように僕を強く抱きしめた。
† If this is the
SIN , ††
END/毛利様(笑)企画に戻る? コメント:罪と救済。随分と宗教チックなテーマでしたね(苦笑)。 嘘っぽい(笑)
|