「どうした、伸?」

 声をかけられて顔をあげると、当麻が目の前にいた。
 僕の顔を覗き込むようにして、不思議そうな顔をしている。

 「ああ、ごめん。すぐにできるからね。」

 僕は笑顔をつくり、手元に集中する。
 目の前には焼き立てのシュー。包丁で半分に割ったそれに、カスタードクリームを絞り出す。

 「うわっ、すげぇうまそう♪」

 当麻が嬉しそうに舌なめずりする。
 できたそばから、手を伸ばそうとするのを軽く牽制しつつ、全部にクリームをはさみ終える。
 最後にグラニュー糖をふりかけ、粉雪をかぶったようなシュークリームができあがった。

 「さ、できあがり。紅茶を入れるから、テラスで食べよう。」

 「OK!」

 当麻は破顔した。

 

 僕が当麻から征士の記憶を奪ってから、半年が経っていた。

 退院後、療養をかねて当麻は僕の実家に来ていた。さすがに征士と二人で住んでいたマンションに帰すわけにはいかないからだ。
 山口に来て三ヶ月ほどすると、当麻は僕が親から受け継いだ会社を手伝ってくれるようになった。そして、僕はあらためて彼の頭脳のすばらしさを再認識した。この不況の中、彼のおかげで会社の業績は少しづつ上向きになっている。

 あの日、数時間後に目覚めた当麻からは、すっかり征士に関する記憶は消えていた。
 僕らは彼に、事故に巻き込まれて今まで意識がなかったと嘘を教えた。

 当麻はすんなり、その嘘を信じた。

 

 「まったく、子供じゃないんだから少しぐらい待てないのかい?」

 僕がお盆に紅茶をのせてくると、バスケットの中のシュークリームは一つ減っていた。

 「だって、こいつが食べてくれってうるさいからさ〜。」

 そう言って当麻は唇をつきだしてみせる。しかし、その目は嬉しそうに細められていた。

 「はいはい。ほら、唇の横にクリームついてるよ。」

 僕はそう言いながら、それを指ですくって嘗めた。
 当麻は少し頬を染めて、「サンキュ。」と呟いた。

 当麻と僕はこの半年で恋人と呼べる仲になっていた。

 きっかけは嵐の夜。
 雷に脅えた当麻を、僕が抱いた。

 誰に卑怯者と罵られようと、僕はそれを後悔はしていない。あの時の彼にはそれが必要だったから。
 それから数日後、僕は自分の想いを伝え、当麻はそれを受け入れてくれた。

 「何?」

 自分の分を食べ終えた当麻が、じっとこっちを見ている。
 狙いはどうやら、バスケットに残った最後の一つ。

 「ったく、しょうがないなぁ。」

 僕はバスケットごと、当麻の方へおしやってやる。
 当麻は嬉しそうにそれに飛びついた。

 「愛してるぜ、伸♪」

 そんな当麻の軽口にも、内心嬉しくなってしまう自分がいる。
 僕はそんな自分をごまかすように言った。

 「そんなんじゃ、デブになっても知らないからね。」

 「へーき、へーき…おれっへ、ふとらないたいひつなの……」

 口をもごもごしながら答える。
 その言葉に僕は複雑な気分になる。

 そう、当麻の言うとおり、いくら食べても当麻は太らなかった。
 征士が死んでからの一月で大幅に落ちた体重は少し戻ったものの、半年経った今もかつての体重には及ばない。元々少し痩せ気味だったのが、今では当麻より身長も低く、女性であるナスティより軽いぐらいだ。

 初めて抱いた夜、抱えた腰のあまりの細さに壊れてしまうのではないかと思った。

 

 僕がバスケットを片づけて戻ると、当麻はテラスにはいなかった。

 (また、あそこか……)

 庭にある大きな桜の樹。
 11月に入った今、もちろんそれに花はついていないが、当麻はその下で眠るのがとても好きだった。

 僕がそこへ行くと、案の定当麻がいた。しかし、珍しくその瞳は開かれている。

 僕はその隣りに行こうとして、思わず足を止めた。

 当麻は辛そうに眉を寄せていた。
 唇を強く噛み、今にも涙を溢れさせそうな顔をしていた。

 「当麻。」

 僕の呟くような声に当麻はぴくりと肩を揺らした。
 そして、顔をこちらに向けると、やんわりと微笑んだ。

 「伸。こっち来いよ。すっごく気持ちいいぞ。」

 僕は戸惑いながらも、その隣りに座る。

 「秋のこういう良く晴れた日を、本当にさわやかな日って言うんだぜ。」

 当麻はさっきの表情が嘘のように、気持ち良さそうにしている。

 「でも君、さっき、気持ちいいって顔じゃなかったけど?」

 僕はなるべくさりげなく聞いたつもりだった。
 この半年、ふとした瞬間にみせる当麻の辛そうな、そして悲しそうな表情は、僕の胸をずっと痛めていた。

 もしかしたら、征士のことを思い出したのかもしれない。

 実際、僕の水滸の力は完全に当麻の中の征士に関する記憶を消し去ったはずで、それは普通の記憶喪失とは異なり、記憶が戻ることは決して無い。
 それがわかっていながらも、僕は何度も、全てを思い出した当麻に罵しられる夢に魘された。

 「……俺も…………よく、わからないんだ。ただ……」

 当麻は視線を空に向けた。
 母屋の屋根の上に広がる空は、どこまでも突き抜けて蒼い。

 僕は黙って当麻の次の言葉を待った。

 当麻は苦笑いしながら言う。

 
 「俺はどうやら、悲しみってやつに憧れているらしい。」

 
 僕が問いかけるように見ると、当麻は照れたように笑った。

 「俺は今、何にも悲しむべきものなんて無い。この町も気に入っているし、伸の会社の手伝いも楽しくなってきた。伸の家の人だって、皆良くしてくれる。」

 そして少しの間の後、小さな声でつけたした。

 「伸もいてくれるしな。」

 僕は当麻の肩を優しく抱き寄せた。
 当麻はそれに逆らわず、僕の肩に頭をのせる。
 当麻はふわりと目を閉じた。

 しかし、その眉がわずかに寄せられるのに僕の心はざわついた。

 「……なのに、朝、目が覚めるとどうしようもない喪失感があるんだ。」

  どくん
  心臓の音が一つ大きく鳴った。

 「何にも無くしたものなんてないはずなのに。」

  どくん
  血の流れが一気に逆流する。

 「おかしいだろ?………でも、」

 僕の動揺を知られるのではないかと心配したが、当麻は目を開くと空の一点を見つめていた。

 「悲しい想いだけが浮遊してる。」

 

浮遊する悲しみ

  当麻の視線の先、
  はぐれ雲がひとつ浮かんでいた。

  真っ青な空の中、白い小さなそれ。
  形はあやふやで、うまく言い表わすこともできない。
  けれど、
  風にかき消されることもなく、
  何故か目を離すことができない。

 「そして気付くとそれを追ってしまう自分がいる。」

  対象のないそれはとても薄っぺらで、涙にすらならない。
  それでも、それは消えることなく存在し続ける。

 「だからきっと、俺はこの悲しみを愛しているんだと思う。」

 僕はもう自分の中から溢れるものを押さえられなかった。

 「伸!どうしたっ!?」

 当麻は慌てて僕を覗き込んできた。
 僕は黙って首を振る。

 「だって……、じゃあ、なんでそんなに泣いてるんだよ………」

 とめどもなく湧いて来る涙は、僕の頬から顎に伝わり、重力に従って落ちる。
 僕は鳴咽を堪えながら言った。

 「これは……君が…流すはずだった涙だよ………」

 当麻はじっと僕を見つめている。

 「僕がそれを奪った。」

 半年前のあの日、僕は当麻から征士についての記憶を奪った。
 それは表向き、当麻の命を救うためだったけど、もう一つ真の目的があったのだ。

 ―――征士を忘れた当麻は、僕を愛してくれるかもしれない。

 「僕は罪を犯した。」

 罪という名の僕。
 それは運命だったのか。

 「僕は神の掟に背いたんだ。」

 目を強くつぶると、溜まった涙がしぼりだされるように落ちた。
 そして恐る恐る目を開くと、当麻は真剣な表情で言った。

 「それでも俺は伸を愛している。」

 けれど僕にとっては、その当麻の愛の言葉すら、僕の罪の証だった。
 もし、僕が征士の記憶を奪わなかったら、当麻は決してそんな言葉を口にしなかったはずだから。

 「そう言ってくれる今の君こそが、僕の罪の結果なんだよ。」

 当麻は黙ってその言葉の意味を考えているようだった。
 少し目を伏せるようにして、その長い睫が影を落としている。

 「……伸、お前が神に背いたというなら、」

 当麻のその静かな声は、まるで審判をくだすようだった。
 罪人である僕は、頭を垂れてそれを聞くしかない。

 「それを知ったうえで、お前を信じる俺も、」

 信じるという言葉に僕はどきりとする。
 あの戦いの日々、当麻が僕に言ったこと。
 それは、信じるということがどういうことかということ。

 「やはり、罪を犯しているということになる。」

 そう言って、顔をあげた当麻は微笑んでいた。
 どこまでも透明な微笑みは、かつて彼の母親が浮かべたのと同じ。
 見ている者を浄化するその微笑みは、僕の中にあった罪悪感をも押し流す。


  ああ、そうか。
  風もまた、全てを流す存在だった。


 「当麻っ………」

 僕はもう躊躇わなかった。
 目の前の当麻を強く抱きしめる。いつもとは違うその激しい抱擁に、当麻は嫌がらずに僕の背中に腕をまわした。

 「もう僕は、君を愛することにも……」

 当麻の耳に唇をよせ、告げる。

 「……君に愛されることにも、言い訳なんてしない。」

 僕の背中にまわされた当麻の腕が、それを肯定するように僕を強く抱きしめた。

 

If this is the SIN ,
I don't need to be justified any more.

††

 

 

END/毛利様(笑)企画に戻る?

コメント:罪と救済。随分と宗教チックなテーマでしたね(苦笑)。
人が生きて行くにはなんらかの支えが必要だと思います。
しかもどうしようもない喪失に気づいてしまえば、
自分を支える何かがなくては生きていくことなど到底できそうにありません。
古今東西宗教が絶えないのもこのせいでしょうね。
ちなみに某心理テストによるとめけめけは宗教家にもむいてるそうですが、
合理的・現実的なので、むしろ福祉関係にむいてるそうです。

嘘っぽい(笑)