十万の薔薇
「忘れもの、ちゃんと届いたみたいね。」 店に並んで入ってきた二人の男は、ちょっとそこら辺ではお目にかかれない美い男。 「ったく、『今、下にいる』なんて大嘘つきやがって。」 いつも店に来る男の方がそう言って大げさに顔を顰めてみせる。 「いつ、『あたし』がいるなんて言ったかしら?」 そう返してやれば、彼は何も言えなくなって唇を噛んだ。 ふと、横に視線をずらせば、几帳面な顔の彼が小さく頭を下げた。 私はわずかに唇をゆがめることで『どういたしまして』と伝えた。 「だいたい、このあたしが、十万の薔薇のうちの一本に過ぎないあんたのために、わざわざ寒い中でかけていくわけないでしょうが。」 それは事実だった。 もうすでに誰かのものである男に手をだすような趣味は、私にはない。 「ちぇっ、ホント、愛のない女だね。あんた。」 唇をとがらすその表情は、ここで遠い目をして煙草をふかしていた男と同一人物とは思えなかった。 「とんでもない。私ほど愛に溢れた女もめずらしいわよ。」 私は、店の四人掛けのボックス席に二人を案内した。 「はい。預かっていたコート。」 私は金髪の彼にコートを返した。 『もし、あの強情な男があんたを部屋に入れないって言い張ったら、コートがないから寒くて帰れないって言いなさい。』 冗談半分に言ったそれは、少しは役に立ったのだろうか? 「あ?何でコートなんて預けたんだ?」 恋人がいぶかしげに首を傾げるのに、コートを受け取った彼は綺麗に微笑んでごまかした。 「さ、今日はあたしの奢りにしてあげる。好きなだけ飲んでね。」 その言葉に常連の彼はぱぁっと顔を輝かせ、そして隣の彼は困ったようにそれを見つめた。
「また、来るよ。」 常連だった彼は帰り際、少し紅い顔をして言った。その彼以上に飲んでいたと思われる隣の彼はちっとも顔色が変わっていない。さりげなく恋人の肘あたりを支えるその姿が憎たらしいぐらいはまっている。 「だめ。」 二人のその様子に私はそう言って笑った。 「・・・・・・・?」 私は笑みを浮かべたまま、いぶかしげに私を見るそのかわいらしい人に教えてあげる。 「ここは、自分が世界にたった一本の薔薇になれない男の来るとこなの。もしくは、自分だけの薔薇を持ってない男のね。」 ここは十万の薔薇のうちの一本に過ぎない男の来るところなのだ。 「あんたは、自分が世界でたった一本の薔薇だってことを知っているし、自分だけの薔薇を持ってるんでしょ?そういう人にはあたしの仕事は必要ないわけ。」 星の王子さまが、あの小さな一本の薔薇への愛を確認するのに随分と遠くへ来なくては行けなかったように、二人は一度離れる必要があったのかもしれない。 そして、そのときキツネの役割は終わるのだ。 「あんたの仕事・・・・・・それって何なんだ?」 かわいらしくて、そして少し愚かな彼の言葉に私は苦笑した。 いや、もしかしたら、私のために聞いてくれるのだろうか。 だとしたら、そんな同情は私には必要ないのだけど。 「十万の薔薇の一本一本に、自分が世界でたった一つの薔薇だってことを気づかせてあげること・・・・・・・いえ、そうじゃないわね・・・・・・」 それに気づくのは結局自分自身でしかできないことなのだから。 「気づくきっかけをあげること・・・かしらね。あたしの仕事は。」
十万の薔薇 言葉にすれば一言だけれど、その一つ一つが違う風に咲いているのを私は知っている。 その事実に愛しさを感じる限り、私はこの仕事をやめない。
「あなたは愛の深い女性なのだな。」 どうやら、私の言葉の意味に先に気づいたのはもう一人の彼で、私はやはり苦笑してしまった。 「そう、深すぎてなかなかわかってもらえないのよ。」 私が肩をすくめてみせると、初めて私にむかって微笑んでくれた。 「やれやれ、やっぱりあんたを飼い慣らしたのは大した人だったわね。女じゃなかったけれど。」 その私の言葉に目の前の二人は顔を見合わせて笑った。
これから二人が一緒に住むだろう小さな星に幸いあれ。 END/征×当話に戻る? コメント:最後まで名前のでてこなかった彼女。 |