抱きしめあうこと

 

 「おーー、38度2分。立派な病人だな。」

 私がくわえていた体温計を電子音が鳴るやいなやとりあげて、当麻は満足そうに頷いた。

 「・・・・・・嬉しそうだな。」

 そのかすれた自分の声に、嫌悪感を覚える。
 いったい風邪などひいたのは何年ぶりだろう。不覚をとったものだ。

 しかめつらをしただろう私の表情を見て、さらに当麻は嬉しそうに笑う。

 「そーんなことないぜ?俺、征士が具合悪くてすんごく心配♪」

 ちっともそういう風には聞こえない口調に、私はこめかみを押さえた。

 「寝る。」

 私は一言それだけ残すと、寝室へと向かった。



 身体がだるい。
 関節のいたるところが痛む。
 風邪とはこんなに辛いものだっただろうか?

 ベッドに横たわり天井をぼんやりと見つめながら、つらつらと考える。

 こんなに不調なのだから、眠りがすぐに訪れても良さそうなものだが、そうもいかないらしい。
 いつも寝慣れたはずのベッドがどうにも居心地が悪い。
 居場所が定まらない感覚に寝返りをうつ。

 いったい、何年ぶりだろう?ここまで熱がでたのは?

 そういえば、昔はこうやってよく寝込んだものだった。
 熱による痛みが呼び水となって、幼い頃の日々が鮮明に思い出されてきた。



 「征士、大丈夫?何か食べたい物がある?」

 母の問いかけに軽く首を振る。
 実のところ口を聞くのも億劫で、とにかくほうっておいて欲しかった。

 と、それが表情にでてしまったのか、母の顔が曇る。

 それを見て、私の胃がきりりと痛んだ。
 自分のことを想ってくれている母を、傷つけてしまった。

 病気になって一番嫌なこと、それはついつい自己本位になってしまうことだ。

 間断無く続く痛みは、どうしたって自分にばかり意識を向けさせて、そのせいで周囲にまで気がまわらない。

 「・・・・・・そう。でも少し食べておかないと、お薬が飲めないから。林檎なら食べられるかしら。」

 そう言いながら、障子を開けてでていく母の背中に吐息をつく。

 ただでさえ、この虚弱体質のおかげで、母や家人には迷惑をかけているというのに、そのうえ気持ちを傷つけてしまう。
 病気になると、自分のいたらなさが常日頃より目立つようで、本当に腹立たしかった。


    強くなりたい。

    幼い頃に抱いた強い願い。



 ふと、額に触れた冷たい感触に、私は目を開いた。

 「あ、悪い。起こしちまった?」

 ぼやける視界に、映ったのは思いの外優しい表情をした当麻だった。
 どうやら、濡れたタオルを額に置いてくれたようで、そこから伝わる冷たさが気持ちいい。
 しかも視界の端に映る、当麻の後ろには、氷の浮かんだ洗面器がある。タオルが暖かくなったらすぐに変えられるように、代えのタオルがそこには沈められている。

 どうやら、普段はそっけなさすぎるほどのこいつが、私の看病をしようとしてるらしい。
 私のためになど、指一つ動かすのも嫌だと、豪語している男がめずらしいことだ。

 「いや、起きていた。どうも、寝付けなくてな。」

 ふと、当麻の眉がよる。
 寝付けない、という私の言葉に反応したようだ。
 その心配そうな当麻の表情に、私の胃は思い出の中のようにきりりと痛んだ。

 「すまん。」

 思わず謝ってしまうと、当麻は不思議そうな顔をした。

 「え?何が?」

 「いや・・・・・・心配をかけてしまったようなので。」

 思わず改まった口調になってしまうのは、私の中の罪悪感のせいだ。
 私にとって病気になるというのは、恥以外の何物でもないから。

 と、目を伏せた私の瞼に優しい感触が触れた。
 それがふわりと触れて離れていくのと同時に、静かな声がする。

 「馬鹿だなぁ、お前。心配されたら喜べばいいんだよ。愛されてるってさ?」

 驚いて目を開けた私の前で、当麻は笑っていた。
 思いの外近いその顔までの距離が、当麻がしたことを示していた。

 どうやら、こいつは私にキスを一つくれたらしい。

 「どういう気まぐれだ?随分とサービスがいいんだな。」

 思わず声が弾んでしまうのはしかたあるまい。
 はっきりいって当麻からこういう行動を起こすのは皆無といって等しいから。

 「だってさ、病人には優しくするもんだろ?常識人の俺としては、それぐらいするさ。」

 くすくすと当麻は楽しそうに笑っている。

 やはり、当麻は随分と機嫌がいい。
 それがどうやら、私の病気と関係しているのは分かるが、どうして私が病気になると、機嫌が良くなるのだろう?

 「あ、そうだ。首の後ろとか冷やすか?ほら、気持ちいいだろう?」

 私が応える前に、それを実行する当麻。
 強引な態度のわりに、私の頭を持ち上げる動作がとても慎重だったので、文句の一つも言えなかった。

 「それと、おかゆ作るけど、卵にする?梅干し?」

 

 その後も、いつもの怠惰な生活が嘘のように、当麻ははりきっていた。
 熱のために私が寝汗をかけば、それをとりかえる。その後は、水分補給のためにとホットレモンを作る。
 結局、当麻は、私の熱が下がるまでほとんど側につきっきりで看病したのだった。





 「で、結局あれはなんだったんだ?」

 目の前で、赤い顔をして辛そうにしている当麻に、ふと尋ねる。
 私の風邪はどうやら、そのまま当麻にうつってしまったようだ。
 まあ、あれだけ近くにいればうつらないはずもないだろうが。

 「あれっへ?」

 全く呂律のまわらない声と、潤んだ瞳は酔っぱらっているようにも見える。もちろん、頬は高熱のために赤い。
 結構、というか、かなりそそられる表情をしているが、まさか、自分を看病したために風邪をひいた当麻に酷いことはできない。

 「私の看病をしている間、ずっと機嫌がよかっただろう?」

 当麻の機嫌がよかったおかげで、私の病気になったことに対する罪悪感はずいぶん癒されたものだったから。

 病気になった自分に対する嫌悪感も、当麻の楽しげな様子で気にならなかった。

 「ああ、あれかぁ〜」

 当麻はぼんやりと視点の定まらない瞳で、わずかに微笑んだ。 

 「だって、お前に優しくできるだろぉ。病気の時だったら・・・・・・」

 ・・・・・・どうやら、当麻は私に優しくできたのが嬉しかったらしい。

 私は僅かに赤面しつつ、当麻の額に手をやった。
 案の定、すごい熱だ。
 今もほとんど夢うつつなのだろう。

 でなければ、こんな素直なセリフが当麻から聞けるわけない。

 「お前ってば、いつも、強いから・・・・・・あんま優しくできないもん。」

 そう続ける当麻に、胸があったかくなるのを感じる。

 「それに俺、優しくするのへただしさぁ。」

 寂しい幼年期だったからぁ、と小さく付け加えて笑った。
 その笑顔が弱々しく感じるのは、当麻が病気のせいだろうか。

 「看病するって・・・なら、簡単に、優しくできるから・・・さぁ、・・・嬉しかっ・・・たん・・・・・・」

 最後の方は聞き取れず、そのまま当麻は寝入ってしまった。

 「ありがとう。当麻。」

 寝息がすうすうと規則的に聞こえるのを確認し、私はその閉じた瞼にそっと口づけを落とした。



   強くなりたい。

   いつからか思い続けていたその願いは、いつのまにか私を雁字搦めに捕らえていた。

   自分の弱さを否定するための強さは、己を縛り付け、周囲までも緊張させる。

 

   けれど、そう。

   ほんの少し、肩の力を抜いてもいいかもしれない。 

   私の守りたいこの人は、私に優しくしたいのだと言ってくれた。

   私がほんの少し、この人を守るためにまわした腕を緩めれば、

   この人は窮屈に閉じこめられたその細い腕を二人の間から引き出して、

   私の背に回してくれるのかもしれない。

 

   そしてその方が、

   私ひとりが抱きしめるよりずっと強く側にあれるはず。

 

END

コメント:HP作成にあたって急いで書いた駄文。ひたすら甘いわな(^ー^;)。

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