第1回 「人間は実存が本質に先立つ」
あ、表題を読んでひかないように!
これはサルトルさん(
←馴れ馴れしい)っていうえらい哲学者さんの言葉だけど、別にわざわざここで、すんばらしい彼の実存主義という考え方について書こうと思ってるわけじゃないから。(
っていうか、書けんしな。
)
単に、1回目くらい(って続くのかわからんけど
)は、有名どころの人の言葉なんて載せたら、頭良さそうでいいでないかって思ったんだな。(
そこらへんが頭悪そうだぞ、自分。苦笑。)
「人間は実存が本質に先立つ」
めけめけは、この言葉を見たとき、「そうだよな〜」とカクカク頷いた。
別に哲学専攻じゃないから、本当にその言葉が示す意味なんてわからないけど、とにかく、めけめけにはしっくりくる言葉だったのさ。
つまりは、
「
ホモ・サピエンス
はねぇ、
実際に存
在してしまうってことがさ、
本当に質
を持ってあるってことと、違うんだよ〜」
ってことだと思う。たぶん。俺的理解では。
ちなみに、人間をホモ・サピエンスになおす必要はなかったかもしれん。
まあ、気にするな。
「実際に存在してしまうこと」
それはどういうことか?
母胎から生まれた瞬間を個の誕生とするのか、受精の瞬間を個の誕生とするかは、意見の分かれるところだろうけど、とにかく、我々は生まれちまったわけだ。
たぶん、これを読んでるあなたも、生まれたことは一度くらいあるでしょ?
そして、生まれたからには死ぬまではとりあえず、実際に存在してしまっているわけだ。
映画マトリックスのように、もしかしたら、この現実は現実ではないかもしれんという疑問があったとしても、やっぱり、今、こうして考えてる俺ってもんがある。(
ここらへんはデカルトさんのとかぶるからいいよな?
)
だから、私(読んでる方は、ここにそれぞれ自分の主格をいれてくれ、俺でも僕でもわしでもいい。)は間違いなく存在してしまっている。
この
「存在してしまっている」
という言い方、違和感を覚えられたかもしれない。そう、まるで存在してるってことが、マイナスなことみたいだよな。
しかし、ここで「してしまっている」という言い方をしたのは、我々の誰一人として、生まれる前に生まれるぞ!と思って生まれたわけじゃないからだ。
一応、赤ちゃんっていうのは、自ら胎道を意志をもってでてくるらしいが、そんなの、今更言われたって覚えちゃいないよな?しかも精子だったころ、卵子に
うりゃ〜っ
て向かったことなんてなおさら覚えてない。卵子だったころ、精子が来るのを
ぽけーっ
と待ってたのだってそうだ。そんなのはそれこそ機能としてそなわってたからだけだもん。
「いや、私達の生まれる意志が生まれさせたのだ。」とかおっしゃる方もいるかもしれんが、少なくとも私には実感がわかない考え方だ。間違ってるとは言わないけどな。
ようは、我々は意図するしないに関わらず、存在してる。すなわち、存在してしまっているってわけ。
もし、一度でも死にたいとか思ったことのある人、もしくは今も思ってる人ならわかりやすいと思う。なんで、こんなとこに生まれてきちまったのだろう?とか思うとき、それでも
「存在してしまっている」自分
に気づくはずだ。
んだば、
「本当に質を持ってあること」
これはなんなのか?
こいつはかなり個人的な考え方に依存する。俺的考えが、はたして誰にでも受け入れられることなのか、かなり疑問がある。
しかし、まあ、ここは俺てちゅがくの間なので、
テキトー
に言いたいこと言おうと思う(笑)。
簡単に言うと、実際に存在してしまっているのに
意味
なんて必要ないが、本当に質を持ってあるには
意味
が必要なんだ。
「実際に」と「本当に」
。まず、これが違うってのは、前者が科学的だとしたら、後者が精神的ってことだ。(
本当は科学的と精神的を対比させちゃいかんのかもしれんがな。
)
科学的な存在はわかりやすい。実際に存在することは、一目見ればわかるよな。あんま、目の前にいる人が実際にはいないんじゃないかって考えないもんね。
だけど、こいつが本当に質を持ってここにいるのかって聞かれたら、見ただけじゃわからん。
質を持つ。
俺的理解では、上で書いたように
意味を持つ
ってのとだいたい同じだ。
目の前にいる人が、何らかの意味を持ってそこにいるのかは端から見ただけじゃわからない。まあ、やってる行動とか状況・格好で、見て明らかな場合もあるけどな。
普通の格好で町を歩いている人を見ても、そいつが何らかの意味を持って歩いてるのか、なんも考えずに歩いてるのかなんて、あんまりわからないもんだ。
しかも、その意味っていうのがどんだけ本人にとって重要なのかってことがある。別にたいした意味がなかったら、その人がそこを歩いている積極的な必要なんてあんまりないから。別に違うとこを歩こうと、歩くのをやめようと、どうだっていいんだから。
でさ、この歩くっていうのを、
生きる
ってのに変換してみる。
つまり、生きている人(
=実際に存在してしまっている我々
)を見ても、我々は、こいつがなんの意味もなく生きてる奴なのか、それとも、ちょっとやそっとじゃ揺るがない意味を持って生きてる奴なのかってのはわかんないのだ。
だけど、この見た目は同じ2種類の人は、全然違う。
科学的には同じさ。別に、数字になるようなとこで違うわけじゃない。違うのは
精神的な部分
だろうな。
後者のような生き方をしてる奴ってのは、本人がその意味を自覚してるしてないに関わらず、死にたいな〜とかはあんまり思わない。むしろ積極的に生きてることを味わってると思う。
生きる意味、生きる理由。そういうのを持ってる奴は、わりと
迷わない。
もちろん、今日の飯は豚カツか、チャーハンか、なんてことでは迷う(
生きる理由がチャーハンを食べるためだったら別だぜ?
)けど、生きてく上での重要なポイントとかでは、あんま迷わないんじゃなかろうか。
そんでもって、そういう奴の行動には
統一性
がある。
少なくとも、大学受験の時に、英語と国語が得意だから、文系。しかも、その科目で受けられるなら、どの大学、どの学部でも可!・・・なんてことはしないと思う。まあ、もしかしたらその人にとって、大学に入ることそのものがすんごく重要だったとしたらあるかもしれないが、世の中に大学をでてないと駄目なことってあんまないんでないの?
と、ここまで読んできてくれた方(
いるのかな〜?苦笑)、もうわかるよね?
「人間は実存が本質に先立つ」
この言葉の言いたいことは、もともとの人間には存在の意味なんてなくて、人間に限って言えば、自らそいつを
見つけなきゃならない
ってことなんだ。
めけめけは、これを理解(?)した時カクカク頷いた。
ああ、だから俺ってうたれ強いのねぇ〜と。
俺には、生きる意味がある。
ちゃんとそれを誰かに言葉で説明することだってできる。
この一点で、俺はサルトルさんにだって、胸を張れるのだ(大笑)。
俺の生きてる意味なんて、別に皆さんは興味ないだろうから、書かないけど。
とにかく、この言葉は俺の生き方を支えてくれる。しかも、世界的にえらい先生のお言葉だしな(
←権力に弱い奴。苦笑)。
で、あなたはそういうのある?
もし、なかったとしたら、あると
役立つ
よ(←俺の価値判断は「役立つ」かどうかに結構左右される。合理的と言ってくれ。
)。
無くても平気な人は平気だけどさ。
例えば、バイト先のいぢわるな先輩に、
「こんな役立たず、あんたなんかいる意味ない!」
とか言われたり、母親に、
「こんな馬鹿な子、生まなきゃよかった!」
とか言われても、平気でいられるからな。
こういう事言われたら、反省でもなんでもした振り(
ここが、うまくやるコツだぜ?馬鹿な奴にまじめに反抗する必要なんてないのさ。
)して、内心舌だして思ってやればいい。
「俺には、ちゃんと生きてる意味があるんだよ〜」
ってね(笑)。
第1回 完
コメント:いや、マジでここまで読んでくれた方いたら、友達になれるよ(笑)
あなたの忍耐力には頭が下がります。ありがと〜。
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