「当麻君、ごめんなさいね。でも、お母さん、いつも当麻君のこと考えてるから。」
乗車口に立って、黒いドレスの母親は幼い自分を振り返った。周りを見れば、どこも似たような別れの風景で、
一人でやってきた乗客が迷惑そうに体をずらしながら着々と自分の席に向かう。この辺りの車両は個室寝台だから、
自分のコンパートメントに向かうというべきか。沈鬱な表情もさることながら、皆、示し合わせたように暗い色の服を着ていた。
遠くで、この汽車が発車するアナウンスが響く。ポーターが大きな荷物が沢山載ったワゴンを慌てて押している。
母親に視線を戻せなくて、当麻は俯く。
ただでさえ1尺分は背が高いのに、タラップに立っている母親には、自分のつむじしか見えないことだろう。
「それじゃ、体には気をつけて。お父さんと仲良くしてね。」
少し諦めの入った母親の声に顔を上げると、先頭の機関車がプシューッと蒸気を上げた。
「お母さんっ!」
機関車が重たく列車を引っ張り始める。段段、加速していく。当麻は思わず走り出していた。
「向こうに着いたら手紙を書くわ!」
車両はすべてホームを出てしまう。息を切らして立ち止まると、矢張り周りには当麻と同じく、呆然と列車の最後尾を見送る人々が
ぽつぽつと佇んでいる。これだけの人がいるのに、何だか空っぽの広い空間だ。すぐ隣で、別の列車が入ってきて、再会の歓喜の
声が飛び交っているのに、それも嘘のようだ。
「行っちゃった。」
駅舎を出てぽつんと呟くと、真夏の青い空に吸い込まれていった。
「へーえ、最近の駅はススんでんだなーっ。何これ、自動改札?」
「当麻! キョロキョロしてるとスリに遭うよ!」
「だーって、駅なんか来るの10光年振りなんだもん。」
「じゃあ、この白鳥区から出たことないのかい?」
「ああ。白鳥区どころか、アルビレオから出たことだってないぜ。」
「ええーっ、初めての宇宙旅行が銀河なんて、ちょっと珍しいよ、君。」
「旅行って……、研修だろう?」
「そーっだったね。それじゃ、これから1億年宜しくね、当麻。」
「こちらこそ、伸。」
当麻は伸にキスをした。伸は満足げに先に車内を進んで、自分たちの個室を目指した。
優秀な当麻は通常より3光年も早く士官学校を出たので、早くも赴任先が決まったのである。伸は同輩だが、人生の先輩なので、
あまり逆らわないようにしていた。
――別に、伸といるのがイヤってワケじゃないけど。
伸とは、卒業試験の頃からの付き合いだ。無事卒業してから、アルビレオ本星での研修期間中ずっと同じ部屋で、毎日毎日小言を
授けてくれた。お陰で態度のでかさも優秀な当麻も先輩たちにいびられることなく、何とか研修の最終段階まで辿りついた。
「つーか、また伸かなー。」
3人ずつ向かい合って座る6人掛けのボックスシートに、長い足を放り出して、他の人が座れない状態だ。でも、他の人が来る
予定はないので伸も何も言わない。
「何か問題でも?」
「いいえ、ナイです。」
「ならいいじゃない。」
伸はニッコリ。ニッコリ窒素入りのお茶を入れてくれた。当麻はもう一度ありがとうのキスをしてからお茶を受け取った。
「地球ってさ、窒素が沢山あるんだってな。」
「らしいね。でも、あまり活用されていないらしいよ。」
「相当、野蛮な未開星らしいぜ。通信手段にパソコンなんて端末使ってるらしい。」
「だから、君が送られるんだよ。」
アルビレオ星人は、潜在意識で通信するので、言葉はあまり使わない。キスをするのは、お互いの意思表示で挨拶代わりだ。
当麻はずっと一人暮らしだったので、いつも怠るのだが、伸に躾られた。
「サウザンクロスで銀河鉄道に乗り換えだったよな。」
「起こしてあげるから寝てていいよ。」
言ってるそばから列車は動き出した。当麻は、自分が列車に乗るのは初めてなので窓にかじりつく。
すぐに赤や青の星雲が広がりだした。当麻が映像でしか見たことのない光景が続く。当麻は窓を開けて身を乗り出して眺めていた。
「おおーっ、俺たちの星って、あんなんなのかー! すげーっ。」
当麻の住むアルビレオ星はどんどん遠ざかる。列車は無限の暗闇に突入した。
ふと車内に目を戻すと、寝ていていい、と言った既に伸が眠りに入っていた。いつも上官に対して愛想のいい伸は、母星を離れて
気が緩んだのかもしれない。
――ここ数年、準備で殆ど寝てなかったからな……。
当麻はぼんやり外の景色を眺めた。さっきの感動は消えて、何だか急に年をとった気分だった。そのうち、せっかくの夜空の光景も
単調で飽きがきてしまった。食堂車にでも行ってみようと当麻は席を立ち上がった。
ちょうど当麻が扉に手を掛けようとしたとき、ちょうとノブが勝手に動いた。(あり?) そして、扉は勝手に開いた。
向こうに立っていたのは、身を隠すように真っ黒なロングコートを纏った長身の影。均整のとれた体の上に乗っかっていたのは、
醒めるような美貌。何よりも目を引くのは、その見事な金色の髪である。
薄い唇が開いた。
「すまないが、かくまってくれないだろうか。」
呆然と見惚れていた当麻は、話し振りは丁寧なのに、切羽詰った、いわれのない脅迫を感じ、何も言わずその人物を中に通した。
キョロキョロと通路を見、扉を閉めた。
伸が、気持ちよさそうに眠っている。真っ暗闇を走る列車は、カーブに差し掛かったらしく、壁にかかったランプの火が揺れた。
当麻と闖入者は、無言で見詰め合ったまま動かなかった。動けなかった。
――目が離せない。
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