「記憶を消す………?」

 僕の提案に、遼と秀は驚いたようだった。
 それはそうだろう。僕の持つその能力について知るものは誰もいない。

 水滸の力は水の力。
 それは全てを押し流すもの。

 「そんなことができるのか?」

 遼はじっと僕の目を見た。
 彼の視線はいつも真っ直ぐで、心の内にやましいところのある人間はそれに耐えられない。
 僕は少し、視線を落とした。

 「可能だよ。征士に関する記憶を当麻の記憶から消すんだ。」

 「そうすりゃ、当麻は元どおりになるのか?」

 秀は僕の力に期待しているようだった。
 この一ヶ月、僕らの中で一番当麻の側にいたのは秀だ。唯一自営業の彼は店をちょくちょく抜け出しては、病院に顔をだしていたのだ。
 電話で当麻の様子を知らせてくる秀の声がだんだんと沈んでいくのを、僕は胸のつまる想いで聞いていた。

 「元どおり、というわけにはいかない。たぶん、当麻の中で征士は大きな部分を占めるから……少しはひずみが残ると思う。」

 そのことを認めるのは僕にとって辛いけれど、当麻のこの状態を見てまで、それを認めないわけにはいかなかった。

 「でも、……それでも、このままじゃ当麻まで死んじまう!」

 秀は悔しそうに拳を握った。
 そう、僕らは皆、これ以上かけがいのない仲間を失うわけにはいかなかった。

 征士の死は、それがどんなに辛いことかを僕らに知らしめた。

 「当麻は……」

 遼はどこか遠くを見るような目をしていた。

 「当麻は、それを望むだろうか?」

 その問いは、僕が一ヶ月の間、何度も自分に問ったものだった。

 

 「人は誰でも一人で生きているわけではないわ。」

 僕らが最後に相談に行ったのは、当麻の母親の所だった。
 彼女は一ヶ月の間に、随分と年をとったような風だった。白髪など一本もなかった髪には白いものが目立ち、いつも溌剌としていた彼女も今や疲労の色を隠せない。
 親を困らせないいい子だったのにね、と当麻の様子を初めて見た時、彼女は悲しそうにそう言った。

 「たとえ自分がどんなに死にたくても、それを望まない人が一人でもいる限り、人は死んではいけないと思う。」

 彼女はそう言った。
 たとえ、当麻自身が死を望んでいたとしても、周りの人間が生きていて欲しいと望むのなら、当麻には生きる義務があるのだと。

 「それにね、当麻君は征士君のことをすごく大切に思ってたけど、あなた達のことだって、本当に大切に思ってるんだから。」

 その、あなた達を悲しませるようなことなんてしたくないはずよ。

 彼女はそう言って微笑んだ。
 それはどこまでも透明な笑顔で、今まで見た彼女のどんな明るい笑顔より綺麗だと、その時僕らは思ったのだった。

 

 「じゃあ、始めるよ。」

 僕が最後に確認するように言ったのに、遼と秀は黙って肯いた。

 僕は当麻の額におもむろに手をあてると、集中する。
 溢れ出す水のイメージとともに、脳裏に浮かんだのは幸せそうに微笑む二人。

 それは当麻の中の征士との記憶。

 僕は湧きあがる暗い感情のままに、それを押し流した。

 

 「これは俺達3人の責任だ。」

 全てが終わった後、遼は僕の目をじっと見て言った。
 優しい彼は、僕のことを心配してくれているようだった。

 「そうだぞ。これは俺達皆でしたことだ。」

 秀もそう言ってくれた。

 「うん。……ありがとう。」

 僕はそう言いつつ、それが本当ではないことを知っていた。
 当麻の記憶を消した責任は僕一人にある。
 なぜなら、たとえ誰が反対しようとも、僕はそうするつもりだったのだから。

 当麻を失うこと。
 それが何よりできないのは、この僕だったから。

 僕が当麻への特別な想いに気づいた時、すでに彼の隣りには征士がいた。
 征士は、まるでそれが当然かのように彼を支え愛していた。そんな征士を、彼が無意識に受け入れているのが僕は悔しくって、何度も邪魔をした。

 けれど、彼がその無意識下での征士への依存に気づいた時、彼もまた征士を愛してしまっていた。

 そして、征士は彼の唯一の愛を手に入れ、僕の失恋は確定した。

 (僕はこんな日が来るのを待っていたのかもしれない。)

 どこまでも卑怯者の僕は、誰もが納得するしかない形で当麻を手に入れることを望んでいた。
 けれど、征士はそんな僕の想いを知ってか、傍から見てもパーフェクトに当麻を愛していた。
 そしてそこには、僕の入る隙間なんてなかったのだ。

 だから征士の死を知った時、
 僕は暗い喜びが胸のうちに湧くのを止められなかった。

 

そう、これは僕の罪。

 

 

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