あの日飛び出した此の街と君が正しかったのにね 正しい街 帰ってくるといつもマンションの前で足を止めて4階の自分の部屋を見上げる。 「さぶっ・・・・・・」 冷たい風が玄関ホールを通り抜けて、俺は自分の身体を抱きしめる。
あの日、あの街を飛び出したのは気まぐれ。
「一緒に住まないか?」 その征士の誘いに、俺はとうとう頷けなかった。 俺は征士のことを、その・・・・・・特別な意味で好きで、たぶん征士も同じように思っていて、それはわかっていた。 でも、俺達は最後の一線は越えなかった。 征士はいつだってある種の覚悟をしていたし、そしてその覚悟こそ、俺には足りないものだった。 「冗談だろ。なんで俺がお前と暮らさなきゃいけないんだよ?」 その時、俺は長い沈黙の後そう応えた。 視線をあわせることすらせずに言った俺に、征士は何も言わなかった。 君が周りを無くした あたしはそれを無視した そしてその次の日、俺はあの街を飛び出した。 寒さにかじかむ手を擦りあわせてから、玄関の鍵を開ける。 飛んだブーツは玄関の扉にぶつかって鈍い音をたてた。 「暖房、暖房・・・・・・」 俺はヒーターの前に直行する。 俺は部屋が暖かくなるまではコートも脱がない。 「・・・・・・・・」 部屋が暖かくなるまでなんとなく手持ちぶさたで、ぼんやりと視線を彷徨わせる。 むりやり電話線を伸ばしてそこに置いたのは、玄関から見える位置に置くと、ついつい帰ってくるなりそのランプを確認してしまうから。 そんなのはまるで誰かの連絡を待ってるみたいで嫌だから。 「めずらしぃじゃん。」 ついつい口にだしてしまうのは、一人暮らしの性。 『伝言が一件あります。』 機械的なその声。 『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』 テープから流れるのは沈黙。 俺はなんとなくそれを聞いていた。 『・・・・・・・ピー。午後10時27分。』 結局それは沈黙のまま、終わった。 「ちぇっ。いたずらかよ。」 俺が電話番号を教えてる奴らは本当にわずかで、そいつらは皆一人暮らしだから、一人暮らしの家に電話をかけるときの約束事を知っている。 もし、相手が留守だったら必ず留守電に一言でもいれること。 これって、なんか無言の約束事だよな。 昔はこんなこと気にしたこともなかったけど・・・・・・。
俺はきっと今寂しいんだと思う。 このことを認めるのさえ、随分とかかってしまったけれど。 昔の俺はとても孤独で、そしてそれに気づいていなかった。 例えば部屋に一人でいること。 その意味をかつての俺は一度だって深く考えたことなんてなかった。 けれど俺は今、そのことを考えずにはいられない。
『飼い慣らされたら、涙を覚悟しなくちゃいけない。』 ふと、今の俺の数少ない知り合いの言葉を思い出した。 その女は、仕事場の仲間に強引に連れてこられた店の女だった。 どこか退廃的な赤いルージュをひいた唇からは、ゆったりとした低音が響いて、頭の痛くなるような高い声の女どもにうんざりしていた俺は、とりあえずそいつの話に耳をかたむける気になったのだった。 『星の王子さまに、キツネはこう言ったのよ。』 唐突な話のもっていきかたをする女だった。 女がその言葉をはいたのは、その何回目かの時だったと思う。 女は俺の目を見つめ、それから俺のくわえた煙草の煙を追うように、視線をそらした。 『あんた飼い慣らされちまったのね。』 しばらくの沈黙の後、俺は『そうかもな』とだけ応えた。 『よっぽどの女なんだねぇ、あんたを飼い慣らすなんてさ。』 女は笑った。 笑うと随分と印象の変わる女だった。 本当は、もっと明るい場所が好きなのだと言っていた。 『なんで飼い主から逃げてきたのさ。』 『・・・・・・・・・』 『ま、言いたくないんならしかたないけどね。』 俺はくわえていた煙草を灰皿に押しつけた。 なんとなく、その動作が女に似つかわしくないような気がして、俺は女の顔を見た。 『なぁに、驚いてんのさ?これがあたしのお仕事なわけ。』 『・・・・・・男の煙草に火をつけるのが?』 眉を寄せたそう言った俺に、女は曖昧に笑った。 『だけど、あんただって飼い慣らしたはずだよ。』 『なんでそう思う?』 『まだ、あんたがそいつに繋がってるのが見える。人一人の想いだけじゃ、そんなに長くは繋がっていられない。』 俺は顔をしかめた。 でも、そんなことは絶対にない。 君に涙を教えた あたしはそれも無視した それはゆっくりと上へとのぼっていって、途中で曖昧に散ってしまうだけ。 |