「光の中にお前がいたんじゃなくて、お前こそが光だったんだ。」

 俺は紫の双眸を覗き込む。
 この瞳がただ綺麗なだけじゃないのを俺は知っていたはずなのに、それでもまた思い知らされる。

 そう。この瞳は闘ってきた者の瞳。

 優しい幻想の中でだけ生きてきたのでなく、厳しい現実の中で磨き上げられた瞳。

 「なあ、どうやったらそんな風に思えるようになるんだ?どうしたら、終わってしまうことがわかってる命に前向きになれる?」

 俺にはできない。
 現に、征士との関係が終わってしまうことが怖くて、始めることに怯え続けていた俺だ。
 いっそ始めなければ、終わることもないから、と。

 それを始めてしまったのは、一重にこいつの異常なまでの忍耐力と努力のせいだ。
 俺はいつのまにか、こいつを信じ始めていて、気づいたら退路がなかった。
 頭でわかるより前に、身体が征士を受け入れてしまって、もうこいつなしでは駄目だったのだ。

 俺は、そういう征士に出会ってしまったことを、そして自分が生まれてきてしまったことにすら、後悔したんだ。

 「確かに、我々は死という事実をどうすることもできない。それは生まれると同時に定められていたゴールだからな。」

 征士は俺が伸ばした指先をやんわりと握る。
 それを動かして自分の唇に押し当てる。
 俺はあわてて指を離そうとしたが、途端に強く握られて逃れられない。征士は唇を滑らせ、俺の手のひらを開かせるとそこにキスした。

 「だが、そのゴールまでをどう歩くか、それは個々人の自由だ。ゴールを遅らせようと回り道して歩くのもいいだろうし、結局行き着く先は同じだからと、ゴールへ急いでたどり着くのも一つの道だ。」

 言葉とともに、キスが落とされる。落とされる先は腕を徐々に昇ってきて、それとともに、俺の身体は征士の方に引き寄せられる。

 「私はその道を自分の歩き方で歩むと決めた。これは私の命だから。重要なのは、誰もがたどり着けるゴールではない。一人一人がそこまで歩む道にこそある。」

 俺はその迷いのない声に引き込まれる。
 そして紡がれる言葉は確実に俺に浸透する。

 「しかも、唯一本当に自分のものなのは、もう歩んでしまって変えることのできない道でもなければ、これから歩むかもしれないまだ見ぬ道でもない。」

 どこかで聞いたセリフだと思う。
 そう、確か、俺がとうとう征士を受け入れることを決意した日。

 「唯一、本当に自分のものなのは、今この瞬間の歩き方だけだ。この一瞬一瞬を、自分の本当に望むように歩むことができれば、後で悔いることなどない。なぜなら、それは自分で下した判断だから。たとえそれが悪い結果をもたらそうと、自分の下した判断ならば、その結果もまた私自身のものだ。」

 あの日、どうしても愛というものを信じられないと言った俺に、

 “今、ここでお前を愛していると言う私を信じろ。”

 こいつはそう言った。

 未来のことなどわからないし、それを今どうにかできるわけではない。
 けれど、そういう今を積み重ねて行くしかないのだから、今の自分を信じろ、と征士は言った。

 永遠を誓うなんていう言葉より、それがずっと本当の、真実の言葉だって、俺には思えたんだ。

 そんなことを思い出しているうちに、征士の唇はとうとう、俺の唇にたどり着いた。
 優しく触れるだけのキスを俺は黙って受け入れる。

 「今、自分の命を自分の意志で生きることができる。死に面と向かったとき、私が気づいたことだ。」

 唇を離すと、征士は微笑んだ。
 それは俺の大好きな、世界一綺麗な笑顔で、俺は泣きたくなってしかたない。

 思えば、俺はいつだってこいつのせいで泣きたくなる。
 それはきっと、俺がこいつを特別に好きだからなんだと思う。そりゃあもう、他の誰かと比べられないほどに。

 「死は確かにこの道の先にあるが、それはそこにあるだけだ。それが今の私の歩き方を左右することなどさせない。」

 断言する言葉は、けれど口調が穏やかで、それが無理をして導き出した答えなどでなく、こいつの本心からの答えなんだと分かる。
 こいつは死と隣り合った自分の生活の中で、こういう答えを出したんだろう。だから、俺達と出会ったあの頃には、もう死なんてものを恐れることはしなかったのだ。

 「なんかもう、きっと、お前を変えられるものなんてないんだろうな。」

 俺はため息をつくように言った。
 征士があんまり強くって、俺は少し悲しくなる。
 俺はこいつの笑顔一つに、こんなにも左右されるのに、俺はこいつに少しでも影響を与えるなんてこと、できないんじゃなかろうか。

 けれど、そんな俺に征士は困ったように笑った。

 
 「お前に会うまではそうだったのだがな。」

 “お前だけが私を変えられる。”

 その言外に含まれた言葉に、俺の目頭が熱くなる。

 俺は、震えだした唇や表面張力の限界を見せる瞳を見られたくなくて、征士の肩に顔をうずめた。

 征士は、そんな俺の背中を優しくなでながら、そっと呟いた。



「今では、お前こそが私の光だから。」



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