使   

 

 人界の遥か上空、天界。
 ここにはたくさんの天使たちが住んでいた。
 おだやかな気性の天使たちはお互いほとんど争うこともなく、日々神様のお膝元でまじめに自らの仕事に励んでいた。

 天使の仕事。
 それは一口に言えば、足下に広がる人の世界に幸せをもたらすことである。

 

 「てっめぇ〜!こりゃどういうことだよっっ!!!」

 いつも心地よい音楽の流れている天界に、その怒鳴り声は随分と大きく響いた。
 その声に驚いた数人の天使たちが慌ててその声のした方へ集まってくる。しかし、そこが天界唯一の大学の教員宿舎であることに気づくと、おのおの納得したように散っていった。

 クリスマスのこの時期、天界大学では1年間の成績が発表される。
 その成績いかんで将来の昇進等がかなりの部分決まるので、学生である天使たちは昨日発表された成績に一喜一憂していた。
 この天界大学で優秀な成績を納めることは、すなわち上級天使への道へ近づくことであり、また、ここで不本意な成績しか納められない者は、下級天使への道を進むのである。最悪、留年などということもありえるのであり、そうすると、ほぼ辺境の土地への永久赴任が決定すると誠しやかに言われていたので、生徒たちはこの時期本当に過敏になっていた。

 したがって、数十年に一人ぐらい、少々気性の荒い天使の若者が、成績発表の翌日である25日に成績をつけた教師の下へ怒鳴り込むのであった。

 「どういうことって・・・・・君。」

 いかにも天使らしい、穏やかな容姿をした教師である天使は、目の前に突き出された成績表の○に不のマークを見て、困ったように笑った。 

 「来年も一緒にがんばりましょう・・・ってことだよ。トウマ?」

 その教師の言葉に、怒鳴り込んできた生徒の顔が怒りに真っ赤になった。

 「んなことわかってんだよ!だからどうしてこの俺が留年なんぞしなきゃなんねーんだよっっっ!!!」

 今回怒鳴り込んできたのはトウマという天使だった。蒼い髪と瞳の印象的なその天使は、美人の多い天使の中でもかなりの美人で知られる天使の一人である。しかし彼(といっていいのかどうかわからない。なにせ、天使には性別がないのだから。)は、もっと別のことで天界中に知られていた。

 「天界始まって以来の天才の俺様が何がどうなってどういう訳で、留年なんてことになったわけよ!?」

 そうトウマは天才だった。
 それこそ学科に始まって、あらゆる実技においても学生の中で彼の隣に並ぶ者はなかったし、実際、数百年前にうちたてられて以来、越えることは不可能と言われていた学科実技総合得点の最高記録をあっさり塗り替えたのもトウマだった。

 「・・・・・・トウマ。」

 教師である天使、その名をシンという、はまさに天使の微笑みを浮かべて、成績表の一点を指した。

 トウマが見ると、そこには「5」という数字が記されている。

 ちなみにトウマの成績表の他の欄は全て「AAA」という記号で埋められていた。この記号は、教師がその学科において、自分と同等以上の能力を持つと認めた生徒に与える成績評価である。この評価が下される可能性は限りなく0に近いと言われているものであった。

 「この善行という項目の評価。これはね、5段階の5という意味ではないんだよ。」

 そこで、シンは少し間をおいた。
 そのたえず、微笑みを浮かべる顔が微妙に変化したのに気づき、トウマはわずかに後ずさりした。

 「1年間の君の善行の数だよ、これは!それがたった「5」ってどういうことなんだよ!ええっ!?」

 一日一善・・・・・・これは天使における最低水準といっていい。
 一年で五つしか善い行いをしない、というのは呆れるのを通り越して、むしろ不思議になるぐらいの少なさである。だいたいこの欄が通常一桁などということはありえないのである。

 「だって、妙に俺に喧嘩ふっかけてくる奴が多いんだもん、しかたねぇだろ・・・・・」

 実はこの欄の数字は、行った善行の数から、争いをおこした数などが引かれるようになっている。
 トウマの場合、元々の善行の数の少なさに加え、争い事を起こす回数が異常に多いことがあげられた。

 トウマはそう言い訳しながら、じりじりと入り口に向かって後退する。実は勢いでここに怒鳴りこんでしまったトウマだったが、シンを前にそのことを後悔し始めていた。

 「言い寄られる度に、毎回律義に相手をぶちのめしてるのはいったいどこの誰なんだい。」

 笑顔のまま額に青筋をたてたシンの表情は、それだけで十分怖い。

 しかもシンは、トウマによって破られるまで、数百年の間学科実技総合得点の最高記録を持っていた優秀な天使であり、同時に、学園内で唯一トウマがまだ実践で勝てない相手であった。
 また、彼を怒らせるとあの残忍な悪魔たちよりもたちが悪いという、もっぱらの評判だった。

 だからトウマが思わず背中を見せて逃げ出そうとしたのもしかたがない。

 「こら、待ちなさい。トウマ。」

 しかし、逃げ出したトウマの後ろ首を見えない力が掴んだ。
 そしてそのまま、シンの座っているデスクの前まで連れ戻される。

 「でも、確かに君はとても優秀な生徒だ。・・・・・・素行以外はね。」

 シンは小さくため息をついて、目の前でちじこまるトウマを見た。
 その背中の白い羽がぴったりと背中につけられて、トウマが脅えているのが伺えた。

 そのトウマの様子に内心苦笑しつつ、シンは提案をした。

 「だからここは一つ、君には追試を受けてもらうことにしよう。」

 

 こうして、天使のトウマは人界へと降りることとなったのだった。

 

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