「痛ってぇ・・・・・・」

 したたかに地面に尻餅をついたトウマは、その痛みに顔を顰めた。

 「シンのやろぉ、いきなり人を飛ばしやがって・・・・・・」

 シンの『じゃ、いってらっしゃい。』という一言の直後、トウマは地上へとあっという間に送り込まれたのだった。

 トウマは腰をさすりながらふわりと立ち上がる。
 ちなみに天使の体重は限りなく0に近い。だからこそ、身体の三分の二ほどの翼で飛ぶことが出来るのである。
 そしてそのおかげで、天界からほとんど真っ直ぐ落とされたにもかかわらず、トウマはわずかに腰の辺りを痛めただけで済んでいた。

 「ったく、これが人間だったら、今ごろ俺、つぶれたトマト状態なんですけど。」

 そもそも、人間だったら、天界から落とされるようなこともないのだろうに、トウマはその辺りには思いがいたらない。
 天才の名を欲しい侭にしている、この天使は存外抜けたところがあった。

 「え・・・と、とりあえず羽をしまんないとな。」

 トウマは背中の翼を一回ばさりと広げる。
 するとそれは、わずかに発光した後、背中に吸い込まれるように消えた。

 トウマは翼の消えた自分の背中を、首をねじって確認すると満足そうに笑った。

 「んでは、さっそく誰かさんを『幸せ』にしてやりますか。」

 トウマはシンからだされた追試の内容、
 『1999年中に人間を一人幸せにすること。ただし天使の力を使わないで。』
を実行すべく、行動を開始することにする。
 しかし辺りを見回しても人っ子一人いない。どうやら、ここは住宅街のはずれらしく、大きな家が一軒あるだけで人通りがない。

 「とりあえず、人間のいそうな方へ行ってみるか。」

 少しばかり離れたところに、人工の明かりが空を照らしているのが見える。
 トウマはそれにむかって歩き出した。

 ふと、トウマはその足をとめ後ろを振り返った。

 「・・・・・・?誰もいない・・・・・・気のせいか。」

 トウマは一瞬誰かの視線を強く感じたような気がしたのだが、そこには誰もおらず小さく肩をすくめると、明かりの方へと再び歩き出した。 

 

 「おーー人間がいっぱい。」

 トウマが数十分後着いたのは、明るい電飾にいろどられた街中だった。
 通りには人が溢れ、どこかせわしなく通り過ぎていく。 

 「しかし、こんだけ人がいると、どいつを『幸せ』にしたらいいのか迷っちまうよな。」

 トウマは駅前の何かの銅像の前に辿り着くと、突っ立ったまま腕組みした。

 (どうせなら、いい奴がいいよな。悪い奴を幸せにしてもつまらんし。)

 一応天使らしいことを思うが、天使力の使えない今、人間を見てもその人間がどんな人間で、どんな行いをしてきたのか、トウマにはちっともわからなかった。

 『ただし天使の力を使わないで。』

 と言ったシンは、トウマを人界に降ろした時点で、トウマが力を使えないように封印してしまったのである。

 「ちくしょー!シンの奴やっかいなこと押し付けやがって、追試終わったらちゃんと迎えに来るんだろーな・・・・・・」

 天界に帰ることすら力の封印されたトウマではままならない。
 シンが迎えにこない場合、トウマは最悪天界まで飛んで帰らなければいけなかった。空間転移の術を使えばあっという間の天界と人界も、物理的な距離はそれこそ気の遠くなるほど離れている。

 その時、トウマに声をかける者がいた。

 「え・・・・あ、何?」

 文句を言うのに夢中になっていたトウマは、その人間が随分と近くにいるのに気付かなかった。

 「ねえ君、彼氏が来ないの?」

 (うわーーーぶっさいくーーーー)

 その目の前の人間を見た瞬間、トウマは思わず視線を逸らしそうになった。

 「いや、君みたいな超可愛い娘待たせる男なんて、許せないなぁ。でももしそうなら・・・」

 実のところ、その人間の男は人としてはごく一般的な容姿なのであるが、天界の並み居る美形になれたトウマにとっては、男の顔はひどく作りの悪いものに見えたのだった。

 (・・・・・・駄目だ、こんな奴『幸せ』にしたくない。)

 顔で相手を判断するという天使にあるまじき考えに、けれどトウマは微塵も疑問を抱かない。

 (よし、『幸せ』にするのは、ぜったい『綺麗』な人間にしよう!)

 その決意をした瞬間、かぎりなくトウマの追試成功率が0に近づいたのは言うまでもない。

 トウマの美的水準に合格できる人間というのが、この地上に果たしてどれくらいいるのだろうか?
 とりあえず全人類の半分の半分、そのまた半分よりずっと少ないことはわかる。
 しかも『綺麗』というとんでもない基準までトウマの中で設定されてしまったらしいので、一週間でそれをクリアする人間を探すこともかなり難しくなっていた。
 そしてさらに、トウマはその『綺麗』な人間を『幸せ』にしなくてはならないのである。その人間がトウマの力など借りる必要がないと言えばそれまでである。

 「じゃ、行こうか。」

 トウマが相手が聞いたら怒り出しそうなことを考えている間に、話は勝手に進んでしまったようである。気付けば相手は一人ではなく、話しかけてきた男の後にさらに2人の男がいた。

 男たちの一人の手がトウマの肩におかれた。

 「離せよ・・・・・・この不細工が。」

 身体に触れられた瞬間、トウマのリミッターが外れた。
 生まれてこのかた、幾たびも他の天使に迫られたことのあるトウマは身体に触れられるのを極端に嫌うようになっていたのだった。

 「な、なななな・・・・・」

 おとなしい可愛い娘ちゃんと思っていた相手の突然の拒絶の言葉、しかも乱暴な言葉、に、男たちは一瞬固まり、そしてすぐに怒りに顔色を変えた。

 「てめぇ、少し可愛いと思って調子にのんなよ!」

 掴みかかろうとした男の一人の腕からするりと身をかわすと、トウマは反撃すべく、その両手を男たちにむけた。

 トウマの両の瞳がかっと開かれる。
 その迫力に一瞬、男たちもひるむ。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・スカッ

 「・・・・・・あ。」

 「・・・・・・なんだってんだ、驚かせやがって!ほら、来い!!」

 トウマのかざした手からは何も生まれなかった。
 当然である。トウマのその力は今現在、教師である天使によって封印されているのだから。

 (やべ・・・・・・俺ってば今力使えないんだった・・・)

 そのトウマの一瞬の焦りは男たちに抱え込まれるのを許してしまい、今にも連れ去られそうになった時、突然トウマの身体がふわりと浮いた。

 何が起こったのかわからないまま、トウマは気付くと、随分と背の高い背中の後に降ろされていた。その背中は、男たちに向かって静かに話した。

 「無茶はやめないか。嫌がっている。」

 その低く響く声は耳に心地よい、とトウマはその背中を見ながらのんびりと考えていた。

 (んーーーーこれで顔も良かったらいいんだけどなぁ。ま、天は二物を与えずって言うし、期待するのはやめとこっと。)

 全く自分のおかれた状況というものに無頓着なぼけた天使である。

 「んだと、俺達が最初に目をつけた・・・・・って!」

 「だ・・・・・伊達会長・・・・・・・・!」

 「会長・・・・・し、失礼しました!」

 何故か、男たちはトウマを救った男の顔を見ると、さっと顔を青くして慌てて去っていった。

 「どうやら、うちの学校の生徒だったようだな。・・・・・・大丈夫か?」

 まさしく正義のヒーローよろしく現れた人物は、小さくため息をつきつつトウマを振り返った。

 「・・・・・・・・・・・!!!」

 その瞬間、トウマの頭の中でファンファーレが鳴った。

 (神様、ありがとうございます。やっぱ、俺のこと見守ってくださってるんですね!)

 振り返った人間は、トウマの目から見てもまさしく『綺麗』な顔をしていた。
 トウマは心の中で手を組んで、見たこともない上司に感謝した。

 「・・・・・・どこか怪我でも?」

 何も言わずにいるトウマに、その人物はわずかに眉をよせてトウマを頭のてっぺんから足の先まで見ている。
 その髪がさらりと揺れた。

 (しかも・・・・き、金髪だよ・・・・・・・)

 実は天界では伝説の金色の天使がいるのだ。その天使はかつて天界を救うために戦って、そして散ったと言われている。天界ではだから、金色は少し特別な意味を持っている。

 トウマも実は、その見たこともない伝説の天使にずっと憧れを抱いていた。
 今までどんな美形の天使からのアプローチにも、拳で応えてきた理由の一つに、これがあった。

 「いや、平気!全然大丈夫!」

 トウマはぷるぷると首を振った。

 「そうか。それは良かった。」

 金色の人はふわりと笑った。
 それは本当にとても綺麗な笑顔で、トウマはとても嬉しくなった。

 (決めた!こいつにしよっ!)

 トウマはにっこりと満面の笑みを浮かべるとその相手の手をとった。

 「俺、天使のトウマ。お前のこと、『幸せ』にするよ。」

 

 滅多に見れない美形二人が手を取り合って(実際はトウマが一方的に手をとっているのだが)いる姿は、いつのまにかできた人だかりの中、街の灯に照らされて輝いていた。

 

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