俺てちゅがく

ようこそ、打ち捨てられる戯言の間へ(謎笑)。
ここには私の記憶に残った言葉などについて書いてます。
めけめけの思考傾向がわかります。


第2回 「努力でもするしかない」
 

 まさか続くとは・・・・・・の第2回は、河合隼雄先生のお言葉。
 ちなみに、河合先生は心理学を囓った人なら誰しも知っているだろう有名な先生だ。
 (箱庭療法っていう言葉は、皆さんもどこかで聞いたことない?それを考案したのがこちらの先生だったりする。

 この一文は、カウンセリングをするときの心構えの一つみたいに紹介されてたんだったかな〜?( ←いいかげん。苦笑。
 元のは「努力でもさせてもらうしかない」 というようにもっと謙虚な感じだったかもしれんが、めけめけは謙虚な人間ではないので上の一文でよしとする(笑)。

「努力でもするしかない」

 この言葉の良いところはさ、なんちゅーか、努力を過信してないところだよな。
 「努力でも」っていう言い回しは、努力がそんな 大層なものじゃない ってこと示してると思う。あ、言っておくが、努力が全く意味ないものだなんて言うつもりはないぞ!

 思うに、日本人って努力・根性みたいのを過剰に 信奉 してるところあるだろ?
 でもさ、現実ってそんなに甘いもんじゃないよな。努力でどうしようもないことってのは世の中たくさんある。

 例えば、俺が3歳ぐらいから他の誰よりも努力してもサッカーの中田にはなれんかっただろう。彼が努力なしに、今の中田になったとは思えないが、その努力は彼の 才能 があった上でなされたから、あそこまで結果をだすことができたわけだ。

 そして、努力でどうにもならないのは 才能だけじゃない

 どこの家に生まれるか。
 そういうのも努力じゃどうにもならん。 金持ち の家に生まれるか、 ド貧乏 の家に生まれるか。こりゃぁもう、運だよな。どっちが良いかってのは一概に言えんけど。
 そりゃよ、運と才気 がありゃ、ど貧乏から金持ちになることもできるだろうし、ちょっくら運がなくて馬鹿だったら、金持ちから貧乏になることだってできる。でも、少なくともどういう幼少期を育つかってのは、生まれた家に依存するわけで、それはもう自分ではどうすることもできない。
 別に生まれた家というのがさすのは、裕福さだけじゃない。親や他の家族がどんな奴だったかとか、どこに住んでいるかとか、そういう全部をひっくるめた 生まれた環境 のことだな。

 でもよ、 生まれた時の環境が悪 かったら、そっから出ていけばいいよな?

 そりゃ子供の頃は無理でも、大人になったらある程度そこから離れることはできる。もちろん、子供の頃にその環境のせいで 経験しちまったことを無に戻すことはできない し、それはもう自分の になっちまってるから、どうしようもない。( 虐待を受けて育った子供は、やっぱり虐待を受けなかった子供と全く同じになんてなれんのだ。
 それでもな、俺達の多くは 自らの意志で環境を変えていく力 を持っている。

 そして、忘れちゃいけないのが、生まれつき、もしくはなんらかの事故により治る見込みのない、 障害 をもってる人たちのこと。

 目の見えない人がどんなに努力しても目が見えるわけではない。
 その人にできることは、目の見えない世界を自分なりに生きていくことだけだ。
 彼らはそれでも、そのハンデを時に素晴らしい力をもってして乗り越える。 マイナスをプラスにしちまうようなマジック で。
 五体不満足の乙武くんなんかそうだよな?

 けれど障害は目や耳、手足にあるだけじゃない。脳に関する障害ってのもあるのだ。

 めけめけの弟は生まれつき知能障害があって、その上知能障害を持っている。ちなみに重度障害者認定なんかも受けてるから、ある意味、国に一生生活を保証されてるから楽といや、楽だよな。

 でもよ、うらやましいなんて思う奴はいないだろう?
 だって、彼は自分の意志で未来を選びとる ってことが、全くできないんだから。
 そういう人たちは殴られた時、殴り返すこともできなけりゃ、誰かに助けてくれるよう訴えることだってできないんだからな。

 こうやってわざわざ身内のことまで持ち出したのは彼に同情して欲しいからじゃない。そういうことが 現実にあるってことを知って欲しいからだ。( 俺的にはこういう弟を持ったことはプラスにしかなってねーし。それがもしかしたら自分だったかもしれんと考えたからこそ、せっかく持っている自分で世界を変えていく力を無駄にしないですんでるんだ。

 そう、世の中にはどうにもならんことがわんさかあるんだ。

 こういう事実の前では「努力」という言葉は しく響いていく。

 思うに、たくさんの精神病や神経症の患者さんたちを見てきた河合先生は、努力の 空しさ をすっごく分かってるんだと思う。だってよ、河合先生ぐらいの人間が、最大限の努力をしても治らない患者さんたちは皆無じゃないんだから。

 それでもな、 「努力でもするしかない」 と彼は言うし俺もそう思う。

 もしかしたら、全部無駄になるかもしれんさ。どんなに努力したって、結果がでないことってのは、どんな分野でもありうることだ。
 でもよ、それじゃあ、「努力なんてやめちまえ!」ってことに、「努力なんて無意味だ!」ってことになるんだろうか?

 ところで、努力するかしないかは全部 本人次第 だ。
 俺達の誰も、他の人間に努力を強制することなんてできない。完全にそれは本人の手にゆだねられてる。そしてそれとおんなじように、誰かの努力を止めさせる 権利 ちゅーのも俺達にはない。

 ・・・・・・話を戻そう。
 ええと、努力なんてやめた方がいいのか?ってことだったな(← しっかりしろ、自分!)。どうせ、結果に結びつかないならば。

 しかしな、結局俺を含めた多くの凡人達に できるのは、「努力」ぐらい のものなのだ。

 まったく全てが絶望的でも、そんでも、諦められないなら、もうそれは、努力でもするしかない。それが何を生むかなんてわからんけど、今、そこで生きてる俺達にできるのは、 楽観的観測 を味方にして、努力し続けることだけ。いつか来る最後通牒を前にするまで。
 そしてその努力は他人からすれば無駄な努力だったかもしれんけど、自分にとっては無意味な努力なんかじゃない。
 第1回で書いたと思うが、自分の行動の意味を見いだすのは他の誰でもなく自分だ。だから自分で納得できた努力は結果に結びつかなくても意味がないことなんて絶対ない・・・・・・と思いたい。過去に傷を持つ者代表としては(笑)。

「努力でもするしかない。」

 そう。この言葉が表すのは、努力を過信するわけでもなく、かといって軽んじてるわけでもない、どうしようもないことを前にした時の 素直な気持ち
 ただ、事実を言ってるんだ。生きるってことの不条理さの 現場にいる 人間達の。

 そして、努力をした人間が得られるのは 結果望んだ結果ってこと )じゃない。

 自己満足 だ。

 それを分かった上で努力する 覚悟

 あなたにはある?

 あたりまえだけど、思いっきり走れば、その分、思いっきり にぶつかるぜ?

 でもさ、その壁へのぶつかり具合にすら、誇りを持ちたいよな。俺的には。
 なんつーか壁にぼこぼこ ぶちあたるのも生き様って感じでカッコイーだろ(笑)?

 それにさ、自己満足でもいいんじゃないの?生きるのなんて。

 俺達はさ、普通 独り でこの世に生まれてくるわけだ( まあ、双子とかは例外だけどよ )。
 そんでもって、死んでいくのも 独り だ(二人で心中したってそんなもん気休めだ )。

 死に際、薄れゆく意識の中でさ、自分の人生を振り返ると思うんだよな。その余裕があればよ(笑)。
 その最後の時にさ、自分の人生を判断するのは他の誰でもない。

 自分自身 だ。

 どんなに世界的偉業を残そうと、本人が自分の人生に満足してなきゃ、そいつにとっての自分の人生は NG なんだよ。逆に、どんなひでー生活してようと、自分で満足してりゃ、そいつは 幸せ なんだ。

 案外、 自己満足 って大事だろ?


 願わくば、

 「んー、俺の人生、俺的にOK!」

 って思って死にたいよな(笑)。


第2回 完

コメント:ところで、才能にしても、生まれた環境にしても、障害にしても、
そういのは全部そいつの個性うちの一つだ。
それらはそれ以上の意味はないし、それ以下でもないのさ。


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